タンザニアのダルエスサラームからフェリーに乗って1時間半ほどのインド洋にザンジバル島はあります。
ここはヨーロピアンにとっての日本人のハワイの様なところで、バケーションには定番の島だそうです。
この島に友人からの強い薦めもあり、タンザニアでの最後の週末を過ごしに行ってきました。
地理的にも文化的にも日本からとても遠いアフリカの事を、私たちは"アフリカ文化"とひとまとめにしがちですが、この広い大陸は民族も言葉も文化も多様でとても一つにはまとめられません。
タンザニアとケニアを中心に東アフリカに見られる文化を"スワヒリ文化”といいます。スワヒリ語やスワヒリフード、衣装など、アラブとイスラム教の影響が色濃く見られ、その発祥の地とされるのがザンジバル島だそうです。
タンザニア人の友人に「ザンジバルに行ってくるよ。」というと、とても喜んでくれて「ザンジバル島は僕も大好きなんだ。ザンジバルのスワヒリ語のアクセントは本当に綺麗で素敵なんだよ。」と教えてくれました。
残念ながら私にはあまりスワヒリ語の知識はないので、具体的にどう違うのか恥ずかしがる友人に無理矢理デモンストレーションをしてもらうと、例えばありがとうという意味の「Asante (アサンテ)」という言葉は 「ア〜サンテ〜」というように、より柔らかく、まろやかな発音になるようです。なんだか古都という共通点といい日本でいう関東から見た京都弁のような感覚かな?と思っています。
17世紀から19世紀までアラブのスルタンの支配下にあり、宮殿やアラビア様式の建築、またアラブ諸国へ売り出された奴隷貿易の取引の地など、遺跡と歴史の宝庫であり中心市街のストーンタウンは世界遺産になっています。
ストーンタウンの他は海の綺麗なリゾートアイランドで、サファリで出会ったヨーロッパからの友人たちもみんなのんびりこの島でバケーションを楽しんでいるようです。
タンザニアは結果的に今まの経験の中でも1,2位を争うお気に入りの旅先になりましたが、残念ながら特にダルエスサラームは、失業率の高さや、生活の格差などもあり治安の良い国とは言えません。実際ひったくりや強盗など恐いニュースも聞きましたし、夜、外へ出かけてみようなんてチャレンジはこれっぽっちもしたいと思いませんでした。
ところが、ザンジバル島はまさに平和の楽園で、女性が暗くなってから歩いてもそれほど心配はいらないよと教えてもらい、色々な期待を胸にダルエスサラームのハーバーの雑踏を抜け、ザンジバル島へのフェリーに乗り込んだのです。
タンザニアについてからずっと思っていたのですが、この国の人たちは本当に屈託なくとても無邪気によく笑うのです。やっぱり船の中でも旅行が嬉しいのか、みんな楽しそうに笑っていました。(もしくは船酔いで気の毒なほどぐったりうなだれているか、、、)
デッキに出ると旅行用におしゃれをしたのか、鮮やかな色のドレスを着た女の子グループがいてどの子もみんなおとぎ話のように素敵でした。一人の女の子が何気なく船首に立って水平線を眺めている時、彼女のドレスとヘッドスカーフは明るく輝き、ロングスカートは風に大きくなびいていて、それを見ているだけでこの時間がずっと続けばいいのにな...と思ったものです。
旅行に行くのが特別でおしゃれをするという昔の人のエレガントさを思わせ、私ももう楽チンな格好で飛行機に乗らないようにしよう...と反省しました。
1時間半青い海を見つめていると、あっという間にザンジバル島へ到着です。
週末だけの一泊旅行で、ストーンタウンのみの滞在でしたがザンジバル島に恋に落ちました。
世界遺産のストーンタウンは、大通りを一歩入ると細い迷路のような複雑な道になっていて、住居やスパイスマーケット、日用品、お土産やさん、お洋服屋さん、ギャラリー、ホテル、レストランなど、思いつく限りのものが詰まっており、地図もガイドブックも何の役にも立たず、手品師の館に迷い込んだかのような気分になります。
建物は古いアラビア式で、有名なザンジバルドアは細かいレリーフが施され、細工が美しいほどに富の象徴とされていたそうです。その美しいデザインがあそこにもここにも...と惹かれるように歩いて行くと、パッと大通りに出て、1時間も歩いたはずなのに最初と同じ場所にもどっているのです。もう一回同じお店に行ってみようと再度細い道に迷い込んでも、同じ場所を曲がったはずなのに、また新しい道に入ってしまい、まさに神隠しかと思いました。すると、通りに佇んでいるローカルに「君、またここを通って一体どこにいきたいの?」とからかわれたりします。
ザンジバル島のローカルの人々は噂通りとてもフレンドリーで優しく、こんなに親切な人々がこの世にまだ存在するのか!と感激しました。街にはストーンタウンのガイドがたくさん客引きをしていて、もちろん正規というわけでなくお小遣い稼ぎの人たちもいるのかと思います。友達感覚で寄ってきて後でたくさんチップを要求されるんだろうなと、とにらんだ私はガイドはいらない!と粘りましたが、今思えばお願いしてみてもよかったな、、、と悔やんでいます。
私は割と客引きや道端の声かけにもキチンと対応する方なので、「ありがとう。でもガイドはいらないの」「どうして!? ガイドがあった方が楽しいでしょ?君さっきから迷ってるでしょ?」「いいの。迷って適当に歩くのが楽しいから。」「OK, OK. あとでガイド必要だったら僕に言ってね!」っていう同じやり取りを何十人としたことか、、、 でも、しばらく迷いながら歩くと「あ!またきたね!」とからかわれる始末です。
他の観光客がガイドされてるのをみると、ザンジバルドアや建物の説明を詳しくされていて意外にも楽しそうでした。次に行ったらガイドは頼もうと思います。
散歩/迷子の時に見かけたこのおじいさんの職人姿と建物の雰囲気がとても素敵で、写真をとっていいか?となんとなくジェスチャーしてみると、おじいさんはそっと頷きました。あとでおじいさんの工房に入ってみると、宝箱のような木製のケースや、木彫りのフレームなど素晴らしい品物がたくさん並んでいまいした。
歩くのがちょっと困難なのかゆっくりと私の方に近づいてきたこの70代くらいの男性は、絵本にでてくる優しいおじいさんのようで、勝手にしゃがれ声でスワヒリ語しか喋れないキャラクターを想像していると、思いがけず大きな声のペラペラの英語ではっきりと「あんたこれ欲しいの!?」と言われ、そのギャップにびっくりしてしまい、「はい!買います!」と箱の一つを購入してしまいました。
おじいさんの他にもお洋服やサンダルなどの工房とお店が併設していて、みんなプライドを持って商品を見せてくれます。「ちょっと見てもいい?」と聞くと「もちろんだよ。見るだけならお金はかからないからね!ゆっくり見ていきなよ。もしあとで欲しくなったらここにあることはもう知っているもんね。」と、言ってくれるのです。「買う気がないならさっさと出てってくれ!」とでも言われかねない現代の都会で育った私には目からウロコで心が暖かくなりました。
街の中では子供達が駆け回り、ご近所たちにも観光客にも話しかけてきたりて、こんなに無邪気に育って幸せだなと憧れました。
夜になると海岸通りの広場で毎日屋台が広がり、豊富な魚介類を始めフルーツやサトウキビジュースなどおいしそうな匂いと共に人が集まってきます。ベンチに座って眺めていると、やっぱり、客引きとガイドの声かけが「ニイハオ」の挨拶と共にやってきます。その都度「私は中国人じゃないのよ。」て説明するのですが、一人の男の子が隣に座って話掛けてきました。「中国人じゃないんだね。僕は大学で中国語を勉強してるんだ!」
そこから彼との会話が始まり、「僕はザンジバルが本当に好きなんだ。小さなコミニュティだからね。みんな一緒に育つんだよ。それにほとんどがイスラム教で、イスラム教は人に親切にするっていうのが教えなんだ。だからみんなその教えを守って生きているんだよ。ここは本当に良い島だよ。」と言っていたのがとても印象的でした。 特にここ数年、イスラムという言葉が悲しいニュースに出てくることが多いのは周知の事実で、彼の言葉にも、本当の自分たちの良い文化をわかってもらいたいという、気持ちが言わずとも伝わってきました。
そんな大学生と話しながらも、いつ何を売りつけられてもNOと言えるように20%くらい気を引き締めていると、彼はスクッと立ち上がりました。いよいよガイドを売り込まれるのか...と構えると、彼は「じゃあ、僕は中国語の勉強したいから、中国人の友達を見つけにいくよ!さよなら。」と他のアジア人に手当たり次第「ニイハオ、ニイハオ...」と言いながら去って行きました。
ここでもまた、人をまず疑ってかかる都会の現代人が、小さなコミニュティーながら純真に育った人に一本取られたな。と微笑ましく思いました。もちろん生活する環境が違うので、コミニュケーションの取り方は違って当然ですが、できる事ならこの島の人々のようにあまり他人を疑わず、皆んなが素直に生きていける世の中になって欲しいですね。